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2012年5月26日土曜日

ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの時代(に行ってきた)


地獄の黙示録の切符売場を復元したもの。
残念ながら撮影できるのはここだけ。
以前のエントリーで紹介しましたフィルムセンターの展示企画「ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの時代 」に行ってきました。

展示品は規模の関係もあるのでしょうが少なめで、ポスターもB2サイズが大半。立看サイズとか大きいもの(「世界残酷物語」がありました)をもっとドカーンと見せて欲しかったです。やはり映画館は非日常への入口ですからね。写真展示されていた京都宝塚劇場(ローマの休日)や日比谷映画劇場(007は二度死ぬ)の往時の姿を見ると、よけいにそう思います。

半券、試写状、プレスといった展示は自分のような人間には数も質もあまり新鮮味がないところで、せめて見せ方にもう一工夫欲しかったかな。

予告編集は「エマニエル夫人」は成人版、「Mr.BOO!」も鉄板焼の方と、残ってないのか公開できないのか、苦心のラインナップですが、懐かしくて良かったです。「地下室のメロディ」の和室で挨拶するアラン・ドロン、なんてのもありました。

入場料200円に高望みしても…とは思うものの、国立ですから、税金ですから、そこん所、今後は善処よろしく、ということで。

坂上氏は72年入社ですが、学生時代からバイトで
ヘラルドに出入りしており、いちばん最初の仕事は
「枯葉の街」(69年公開)のイメージソング(由紀
さおり)のタイアップを取ることだったそうです。
楽しみにしていた元ヘラルド常務の坂上直行氏のギャラリートークは45分ほど。50近いパイプ椅子の座席は満席。とはいっても上映中の今井正特集から流れてきた方も多く、司会の方も毛色が違うお客さまに少々恐縮気味でした。

この司会(センターの人)が「エマニエル夫人」の頃は生まれていなかったこともあってか、話題が70、80年代中心ということでもなかったのはちょっと残念でしたが、それでも興味深い話を聞かせていただけて、行った甲斐はありました。

メモも取っておらず、正確性には甚だ欠けますので、あくまで文責は私、ということで勘弁願いたいのですが、いくつか紹介しますと…

70年代の頃はラジオ等で映画音楽の人気が高く、宣伝にもなるので、配給会社の側から製作者側へサントラ発売を持ちかけた。日本でしか発売されていないサントラがあるのはそのため。

「小さな恋のメロディ」がヒットしたのは日本と南アフリカ。

「エマニエル夫人」の大ヒットで、「『エマニエルボーナス』が出た」と週刊誌に書かれたが、先輩のレベルでは、全部合わせるとボーナス袋が立つくらい出た。ただ、その分所得税が翌年高くなるので、次の年はヒット作が無かったので参りました。「エマニエル」のおかげで試写室の椅子が良くなり、これが”シネマスクエアとうきゅう”のオープン当初のの売りであった「フランス製シート」につながっている。

「ベンジー」の公開当時はペットを受け入れてくれるホテルがなく、いろいろ探し回った末、東京駅前のパレスホテルがOKしてくれ、犬の記者会見を行った。

「テンタクルズ」の試写は武道館でやったが、売りだった「トレンブルサウンド」の効果を上げるため,にスピーカーを集めまくって取り付けた。「メジャーリーグ」は東京ドームで。スクリーンのサイズの問題だけでなく、字幕も大きくする必要があった。

「コンボイ」は日本では18輪トラックの通行許可が無く、前輪の部分を使って遊園地等でキャンペーンをした。フィルムがなかなか到着せずに焦った。

「地獄の黙示録」は製作が延び延びになり、社内でも議論があったが、古川社長の決断で続けた。何としても成功させたかった。「野性の証明」の海外ロケ取材に来ていたマスコミにフッテージを見せ,協力を取り付けたのは大きかった。「現代の黙示録」(原題)がなぜ「地獄」になったか?かなり早い段階で「地獄」だったので覚えてないです。

「枯葉の街」の裏面。いずみたくが
自身が作曲したインスパイアソングに
ついて語っています。
「氷の微笑」は(次回のギャラリートークに登場する)東和の竹内康治氏に「『微笑』というタイトルでヒットした映画はない」と言われたが、自信があった。

「トゥルーライズ」はふたを開けてみるとコメディで、何とかアクションで売りたくてアクション大作風のポスターを張り出した。製作者や出演者が来日するので、その前日に張り替えたが、彼らは予定より1日早く入国しており、それを見て「訴えるぞ」と怒り出した。が、この映画がヒットしたのはアメリカと日本だけだったので、その後は何も言われなかった。

「WATARIDORI」、あえてローマ字表記にしたのは自分が観たときの勘のようなもの。

「ロード・オブ・ザ・リング」は邦題をどうするかかなり迷った。「指輪物語」でも良かったが、何とか映画の広大なイメージを出したかったので、原題どおりにした。高額で購入した作品の邦題であり、かなりプレッシャーがあった。

並べて書くと、自慢話の羅列のように思われるかもしれませんが、ご本人は至って謙虚で、「いろいろ皆さんをダマしたようなこともしたと思うので、ごめんなさい」といった趣旨の発言もなさっておられました。

「地獄の黙示録」などその典型でしょうけれど、作り手の売り口上と出来上がったものが全く別物、ということがあるのがこの世界。当たれば大きいけれど、1本の失敗で会社が潰れることがあるわけで、売り手がどんな作品でも「少しでもいいところを見つけて売り込みたい。」と必死になる気持ちは、この歳になると痛いほどよく分かります。生活かかってるもんなぁ。

こちらも木戸銭払っている以上、同情ばかりもしていられないのだけれど、こういった方々の熱意と努力で映画が広まっていくのだなぁ、とあらためて感じる良い機会でした。

ちなみにフィルムセンターでは7月11日からこの展示と連動した作品上映を企画しているそうです。どんな作品が出てくるのか現時点では分かりませんが、東京近郊の方は要チェックかと。

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